3月11日ですね。
東日本大地震から10年。
あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
高校2年で学校てわ授業中に揺れにあいました。
化学の授業でした。
先生が、時間をメモしておけ!!!と
叫び、みんな時計を見ながら机の下に避難しましたが、
別の理科の先生がここまで揺れが大きいと机ですら危ないです。
頭を守り逃げられるように。と。
結局、校舎内が一番安全との判断で教室待機でしたが、廊下本棚が崩れ、ロッカーが倒れ
何もない教室の唯一あった花瓶が割れました。
揺れがおさまってから、親に連絡をとり
廊下に散らばった赤本たちを先生と本棚に
戻す作業をしていました。
その日は親に迎えにきてもらって帰宅。
街中やお店の中が崩れていて。
いつも駐輪場の横の酒屋さんの
お酒がぜんぶ店内で割れていて。
駐輪場がお酒の匂いで。
いつも穏和な駐輪場のおじちゃんたちが
酒屋さんたちと頭を抱えていて。
え。群馬、、がやばいのでは。と思いました。
それから1週間、学校に行くことはできませんでした。
でも、それ以上に大変だった地域があるから
被災なんて言ってられないし、見た景色はここらにしまっておこう。と思いました。
近所のおじちゃんたちの自慢の畑の野菜は
原子力発電所から200キロの地域だからと
潰すことになって、結局そのまま今はコンクリートになっています。
情報がなくて不便だった。
畑の問題や倒れた街中のこと。
いわゆる被災した地域とくらべれば
小さな問題。私の地域のことは誰も伝えない。
その現実をみて、私がアナウンサーになって伝えてやる。って思いました。
それから、紆余曲折ありながらも
防災減災に取り組む地域に就職し最前線で勉強してきました。
地域によって、意識の違いがあることに危機感を持っています。同じことが二度と起きて欲しくない。
でも、万が一の時に人の命を守れるようにこれからなっていきたいって思ってます。
思い描いてたポジションには今いないけどこれから少しずつ。
当時の怖さが残り、今まで東北にボランティアなどで行くチャンスが何度もあったのにいけませんでした。
自分の目で見るのが怖いし、私はあの日の映像を今でも見るのが怖いです。
でも、災害や震災を勉強する中で知識がついたからこそ今ならいけるとも思ってます。
今は、正直県をまたいだ移動は迷惑なだけですから行きませんが、いつか。
そして、私の地元群馬の現実も受け入れて伝えるチャンスがあれば。
私、ほうれん草が大好きなんです!!
そのほうれん草畑を潰す姿を見たから
9年間ほうれん草食べられなくて。悔しくなっちゃって。。
でも、この間、食べられたんです。
おいしかったです。ほうれん草をスーパーで見るたびに当時の思いがよみがえります。
これからはそれも力にして頑張ります
どうか、平和であり続けることと思いを馳せて。
さおり。
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